律令国家としての道

第41代持統天皇は六九七年、軽皇子に皇位を譲ったが、実際は太上天皇として実際の政務は執り行っていました。

長く途絶えていた年号を復活し大宝元年(七〇一)文武天皇五年の時です。
同時に大宝律令が発せられました。

律令国家の実現を最初に目指した聖徳太子から約百年余、天智天皇からは半世紀、本格的に取り組み始めた天武天皇からで
も三十年のちに、持統太上天皇の精力的な熱意で国家の法典ともいうべき律令が制定され、平安中期の崩壊期まで律令国家としての道を歩み始めるのです。

天皇家系図