白壁王(後の光仁天皇)の出生

白壁王(後の光仁天皇)の出生
和銅元年(708)2月の終わりごろのある日のことである。
宇治田原の郷一面は春の光を浴びて山野がひと際美しい早春の日でした。
その朝早く、大和の国「ならしの岡」にあった邸の椽姫のもとから、喜ばしい知らせが届いたのです。
今朝早く皇子が誕生したという喜ばしい知らせでした。
第六子で、皇子としては、春日王、湯原王に次いで三番目でした。
施基皇子は春の日の暖かさと喜びをつくづくと感じられたのです。
この喜びは自然と胸の中から沸き上がり、次の秀歌が読み出されたのです。

石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも

(現代語訳)岩の上を激しく流れる滝のほとりでは、さわらびが芽を出す春になったことだなぁ。
私の人生にも、これから真の春がやってくるのであろうか
万葉集
この皇子は「白壁王」と名付けられました。
後に光仁天皇となられる方ですが、この時は父の施基皇子も、母の椽姫も、そのようなことは知る由もないのです。
ただ、元気に立派に成長してくれることを願う心でいっぱいでした。
白壁王は性格温厚、無口で情も厚かった。
長ずるに及んでは酒もよくたしなまれたようです。
天平9年(737)30歳で無位から従四位下になられ、そののち中納言、大納言を経て、宝亀元年(770)満62歳にして光仁天皇として皇位につかれました。
その間、帰化系の豪族で添上郡高野の高野朝臣乙継の娘新笠を妃とされ、山部親王、早良親王をもうけられた。
山部親王は後の桓武天皇である。
今の皇室につながる壮大な歴史のロマンであります。