春日山山麓に邸宅

また、後年の平城京、その東の聖域に当たる春日山山麓に邸宅を構え、従妹の忍壁皇子の妹、多紀皇女を妃とされて住まわれていました。
ここは古くから自然の豊かな美しい地でありました。
当時の皇族は都に国家から与えられた官邸をもち、その他に、本邸ともいうべき屋敷を主に大和の好みの地に構えていました。
ゆえに施基皇子の春日山の邸宅も、決して宮廷の空気を嫌っての隠棲の地として解釈すべきではなく、もう一家を持つ年齢にあった皇子の、真の憩いの場としての邸宅であったのでしょう。
多紀皇女との間には、施基皇子の第一子春日王が生まれました。
その系譜は、春日王⇒安貴王⇒市原王と続きます。
それぞれの歌が「万葉集」に載せられていて、施基皇子の系統が万葉一家と称せられる所以になっています。
清澄で自然鑑賞に優れた歌人として『万葉集』に六首の和歌作品を残しておられます。いずれも繊細な美しさに満ち溢れる秀歌であります。

神名火の磐瀬の杜の霍公鳥毛無の岳に何時か来鳴かむ

(現代語訳)神のいます石瀬の森のほととぎすよ、毛無の岡にいつ来て鳴いてくれるのだろうか
万葉集