今上天皇への系譜

大宝4年若しくは5年ごろ、施基皇子は大和国生駒郡の生駒川が大和川に流れ込む辺りの「ならしの岡(岩瀬の森)」という丘陵地に邸宅を構えられた。
それは、紀朝臣諸人の娘椽姫(とちひめ)を妃として住まわれるためでした。
紀氏は武内宿禰の裔で朝臣の姓を賜り、大和添上郡の西南部に居を構えた豪族であった。
椽姫はのちに施基皇子の第六子白壁王(のちの光仁天皇)を生んでいます。
そして、光仁天皇の皇子が桓武天皇であり、以来連綿として今の天皇家に繋がっているのです。
椽姫の父の諸人は「続日本書紀」に光仁天皇が即位されたときに、太政大臣の位を追位しています。
宇治田原の大宮神社の摂社には紀朝臣諸人を祀っていますが、これは、施基皇子や、光仁天皇(白壁皇子)との関係にあると考えられます。
この万葉集の歌は、施基皇子が「ならしの岡」におられた時に読まれた御歌です。
神名火の磐瀬の杜の霍公鳥毛無の岳に何時か来鳴かむ
(現代語訳)神のいます石瀬の森のほととぎすよ、毛無の岡にいつ来て鳴いてくれるのだろうか

万葉集