施基皇子(志貴皇子)は、第49代光仁天皇の父

施基皇子(志貴皇子)は、第49代光仁天皇の父であり、第50代桓武天皇の祖父で、今上天皇の祖先になる方です。
そして、かの有名な「万葉集」の残された万葉時代の最盛期の白鳳時代に生まれ、「万葉集」に6編の秀歌を残されています。
文字通り万葉の時代に生きた施基皇子(志貴皇子)の人間像が浮かび上がっているのが、これらの秀歌です。
そして、浮かび上がる人間像は、賢明で理知的、直感力に優れ、また洞察力に富んでおられたと感じられます。
そして天武天皇、持統天皇、文武天皇、元明天皇と続く天武天皇系の流れの中にあって、どちらかと言えば中央政治からは除外され、また自らもあまり好んで政治に立ち入ることがなかった一生です。
しかし、卑屈な面や行動もなく、自然に親しみ、そこに大きな喜びを見出し、日々を悠々と率直に過ごされるために、都から離れた、宇治田原の高尾(こうお)の里に住まいを決められたのは当然のことだと考えることができます。
この伝承には正史の上では表されていないのですが、宇治田原の伝承にある施基皇子の遺跡について、調べたことをお伝えしたいと思います。
まず、高尾(こうお)の邸宅跡は、高尾の西北端の一番高いところ、標高約四百メートルの東西に長い、比較的平坦な地の続く場所で、西は急斜面になっていて宇治川に落ち、東は緩やかな平地が徐々に登りとなって大峰山に続いています。
南は大きな谷になっていて、荒木、郷之口の各々の谷に分かれています。